雑談・独り言

1990年のアメリカ映画でアカデミー賞作品賞を受賞した作品です。1861年から繰り広げられる南北戦争のフロンティアを舞台に北軍の中尉とスー族と呼ばれるインディアンとの間で交わされる心の交流を描いた西部劇です。先住民族であるインディアンを虐殺し、バッファローを絶滅寸前まで追いやった白人中心主義のアメリカ社会に対して警鐘を鳴らすと同時にフロンティアへの敬意、郷愁を表している点で従来の西部劇と大きく違った映画でした。 ケビンコスナーが監督兼主演で、主人公の北軍中尉のジョンダンバーを好演していまし、インディアンとの交流の進展、彼の心の動きが非常に良かったことを鮮明に覚えています。 1989年にアメリカのニューイングランド地方で駐在を始めた翌年にこの映画が封切られました。その当時、私にとっては、白人とインディアンに関係に関する知識もなく、勉強するきっかけになりました。今は、多くのインディアン居留地があり、その中で優遇された生活をされている先住民の歴史を知ることは、北米でビジネスをする上でも知っておく必要があると思います。まず、上記の映画を観てください、非常に感動ものです。
1979年、サザンオールスターズの”愛しのエリー”が大ヒットしていた時、海外へ初めて留学渡航することになりました。金銭的には全く潤沢ではなく、成田空港からシャルルドゴール空港行きの大韓航空でヨーロッパに向かい、空港からパリ市内の南駅に行き、鉄道でロンドンにいく計画です。...
私の初めての外国はイギリスのロンドンでした。滞在中、スコットランドのエジンバラ、ネッシーが居るであろう、インバーネスのネス湖を訪問しました。ネッシーは発見できませんでした。スコットランドはロンドンと違い空気、文化、人々の趣の違いを明確に感じました。1995年にブレイブハートというメルギブソン主演の映画が公開されとても心を打たれて呆然としました。そうして、イギリスはイングランド、スコットランド等と分けていることが何となく分かりました。 あらすじとしては、13世紀末、スコットランドはイングランド王エドワード1世の悪政に苦しめられていました。その中で、ウィリアムウォレス(メルギブソン)を中心にスコットランドとして抵抗運動を続け、独立を求めて戦い続けます。彼は、スコットランドを独立国になるために同志とイングランドと戦いますが、不幸にも敗れてイングランドに征服され今に至ります。 私は、この映画を見た時に同じ国の中での内戦ではなく、別の国と国との戦いの様に感じました(日本の明治維新は内戦です)を感じました、最近、スコットランドの独立に関して国民投票がありましたが、この史実が歴史的に影響を与えているように思われます。ぜひ、機会があればブレーブハートを観てください、感動を保証します。
1890年代に日本からアメリカへの移民が始まり、有名なのはロスのLittle Tokyo、サンフランシスコのJapan Centerが有ります、1990年代前半、海外出張でロスに行った時に、Little Tokyo近くのNew Otaniに宿泊するのが非常に心地よく、Little...
大学時代、仲の良い友人二人と当時若者に人気のあったGreyhoundバスを使って全米を気ままに旅行しようと計画しました。それ以降、ほとんど大学にも行かず、朝から晩までバイト生活に明け暮れていました。バイトは多岐に渡りました。喫茶店、百貨店、ビアホール、メッキ工場、運送会社、飲み屋、百科事典の配達、郵便局、バーのバーテン等、その結果、何とか200万円を貯金することが出来ました。 お金が貯まると、ふと、このお金を気ままな旅行に使うのがいいのか、あるいはそれ以外の選択肢はないのか考えるようになりました。真剣に考えた結果、将来のために、海外留学をして、勉強しようと決断しました、友人も快く分かってくれて励ましてくれました。さて、留学先をどこにするか決めなけれなりませんでした。英語をまず、勉強することが先決なので、選択肢としては、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが有り、真剣に考えて、英語の基礎をしっかり学ぶことが先決なので英語の本場であるイギリス、その中のロンドンを選択しました。 当時もアメリカの方が華やかで、楽しいことが沢山あるように思いましたが、じっくり、勉強ができるイギリスを選び、留学中は一切、日本語を喋らないと強い意志をもって、頑張り、且つ 現地の社会人学校、集会にもできるだけ出席し知り合いを多く作りました。その結果、ケンブリッジ上級英語検定に合格し、残りの期間はローカルのカレッジでWorld Affairs, Debate等を学びました. これから海外留学を考えている方へ、現地で多くの友人を作ってください。
1980年代に社会人としてスタートした時は、PCなどは無く、海外との通信は専らTELEXでした、毎日夜くまで、TELEX用の帯紙の穴を読んで修正していました(穴の開き位置でアルファベットを認識し修正をしていました)その後、Faxが登場し少し通信の深さが広がりました。...
1980年代後半、ボストンの郊外に駐在し、私の海外業務が始まりました、今回はビジネスではなくその周りの環境に関して話をしたいと思います。その中で、ヤオハンは私にとって駐在中、掛け替えの無いサポートをして頂いた忘れることができない日系スーパーチェーンです。ヤオハンは1929年静岡県熱海市で八百屋として創業。創業者の妻が、和田カツ(ドラマ”おしん”のモデルになった女性です)、大切な客先でした。本社がある静岡へは国内営業部門と一緒に2度程訪問し、一度、和田会長にも面談させて頂きました。非常にオーラがあり、素晴らしい人物であった様に感じています。 ヤオハンは国内よりも海外、特に日本の駐在員、その家族へのサービス提供を主に主眼としていたように思います。1988年NYのNJのハドソン川沿いに店舗を設け、私も、ボストン郊外から一か月に一度は買い物、観光も含めて訪問したことを鮮明に覚えています。今でも非常に楽しかったことを覚えています。その頃は、東京ラブストーリーが流行っていた時期でした。 和田カツの息子である和田一夫氏は、拡大路線を進めて、香港に本社を移し、中国市場への拡大を考えて進めていたと思います。今思えば、彼の先見性は間違いなく、正しかったと思いますが、時期が早すぎたのではないか今となっては思います。中国もその当時は模索の中にあり、政策が変動的でした。彼は時代の流れを先に読み過ぎて、それを進めた結果、会社破綻という状況になったのであろうと思います、非常に残念です。ヤオハンの店舗はミツワと今は名前を変えて現地で今も、駐在員に親しまれていますが、私の世代にとっては、かけがえのない店舗でした。これからのヤオハンの名前を忘れることはなく、改めて、感謝の気持ちを関係各位お伝えします。ありがとうございました。
私の最初の駐在地はマサチューセッツ州の南部の片田舎でした、日本人の存在は皆無で、日本から来たと言うと大変珍しがられたことを思い出します。...