ヨーロッパ

私が、ロンドンに留学していたころ、兄が日本から訪問してきて、彼と一緒の、初めてのヨーロッパ旅行へ行きました。フランスのパリ、スイスのバーゼル、オランダのアムステルダム、そしてベルギーのブリュージュでした。今でも、印象に残っているのは、ベルギーのブリュージュです。かつて、北のヨーロッパのベニスと言われ、多くの運河、橋が犇めき合っていたようですが、運河が泥に埋もれてしまい、北ヨーロッパの中心はアントワープ、アムステルダムに移りましたが、その後、世界遺産としても登録をされ、中世の様相を取り戻し、多くの観光客を呼び寄せています、ヨーロッパに訪問したことが、その時が、初めてだったので、ブリュージュは正に私のヨーロッパの印象と100%合致していました、その後、訪問する機会はありませんが、再訪してみたいと強く思っています、 お勧めは、マルクト広場で、歴史的な建築が犇めき合って、多くの素晴らしいベルギー料理店があります、ムール貝のワイン蒸し、ミートボールは絶品です、ご存知の通り、ベルギーはチョコレート、ビールは非常に美味しいことは周知の事実です、時間があれば、それらのショップに立ち寄り、その上で、余裕が有れば、運河のクルーズもトライください。
1979年にロンドンに留学をして、その夏に、イギリス全土を友人とレンタカーを借り、ロンドンからケンブリッジ、オックスフォード、ストラトアーポンエイボン(シェイクスピアの聖地)、リバプール、マンチェスター、バーミンガム、エディンバラ、インバーネス、ヨークシャーなど多くの街を訪問しました。...
1979年にロンドンに留学をして、その夏に、イギリス全土を友人とレンタカーを借りて、回りました。ロンドンからケンブリッジ、オックスフォード、ストラトアーポンエイボン(シェイクスピアの聖地)、リバプール、マンチェスター、バーミンガム、エディンバラ、インバーネス、ヨークシャーなど多くの街を訪問しました。...
皆さんは、イギリス料理に関してどのような印象をお持ちですか?私は留学した当時は20歳代前半だったので、料理に関してはあまり興味は無く、お腹が一杯になればOKでした。幸いにも、私がHome...
1979年にイギリスに留学をしていた頃、数々のロックグループに傾倒していました。もちろん、すでにに解散していたビートルズを初め、プリテンダー、スペシャルズ、マッドネスもとても好きでした。でも、一番、感銘を受けたのは、ブーンターンラッツのボブゲルドフの歌声でした、その頃、一世を風靡した歌に、哀愁のマンディ(I don't like...
1990年代初め、仕事でイタリアのミラノに行きました、初めてのイタリアでしたので非常に興奮したのを覚えています。その頃、イタリアからアメリカの販売子会社で、真空包装機を輸入して製品群の補完として販売していました。しかし、納期、品質問題が有り、その解決のために訪問しました。...
1990年代、私がメーカーの海外営業をしていた時、ヨーロッパは保護主義が非常に強く、かつ、大手の競合がひしめき合っていたため、一旦小国を攻めてみようと、アイスランド、マルタ共和国に営業をスタートしました。...
1980年3月末にロンドンからモスクワ経由で日本に帰国しました。燃料補給の為の経由でしたが、モスクワ空港に初めて降り立ち、数時間後、モスクワから成田へ向かいしまた。その頃のソ連は、東西冷戦真只中で、緊張してモスクワ空港内に入ったことを覚えています。多くの軍人が銃を持って警備をしており、何か戦時下の様な空気を感じました。機内に戻ると、Times等の西側の雑誌は全て没収されていました。 その後、1991.12にソ連が崩壊し、新たにロシアが出来ました。ビジネスで初めてロシアに出張したのは、21世紀になってからです。ソ連の崩壊時に、その時の経済の中枢にいた人達は殆どすべて排斥され、その時の30歳代の若いビジネスマンが活発に事業を起こし、40歳代の一番元気な時期にモスクワを訪問することが出来ました。市内は活気があり、欧米からの投資も増え続け、私が関与していた代理店も大幅な売り上げ拡大を経験していました。 しかし、その後は急激な拡大が裏目になり、多くの企業が債務超過に陥り、私がビジネスをしていた会社も全て消滅しました。その後、ロシアへ行く機会はありませんが、メディアで見ているだけですが、経済の疲弊が続き、かつての勢いが全く無いように思います。私は、この機を好機としてとらえ、日本は官民挙げて積極的に投資し、モスクワの経済の活性化をサポートしていき、できれば、早い時期に北方領土問題の解決に結び付けてほしいと、私見ですが願っています。