アメリカ・カナダ

ロスアンゼルス1980年代後半に初めてロスへの出張をしました。代理店がディズニーランドの近くにあったので、訪問しましたが、私にとってはロスは初めてで、非常に興奮をしました。宿泊はロスのダウンタウンのニューオータニで20歳代後半の私にとっては非常に贅沢な宿泊先でした。ニューオータニのレストランである千羽鶴というところでお寿司を食べ、その時の美味しさは今でも覚えています。 ニューオータニから近くにリトルトーキョーがあり、その当時は、非常に賑わい活気がありました。東京でも同じだと思いますが、ニューオータニは若いサラリーマンには少し足が遠のく価格帯です。1984年にNHKの大河ドラマで山河燃ゆという、日系移民のドラマがあり、日本から移民してきて、ロスのリトルトーキョーで洗濯屋をして健気に生きた家族のドラマが有りました。初めて、リトルトーキョーに行った時に、そのドラマが頭をよぎりました。 日系移民は北米、南米において多くの功績を残し、現地の人に尊敬をされています。 数年前にリトルトーキョーを訪問しましたが、すっかり様変わりをしていて、日本の食堂が、韓国、中国系に変わっており、非常に時代の趨勢を悲しく感じました。 ここで言いたいのは、私たちの祖先である多くの移民が北米、南米で血と汗を流して頑張ったことです。その結果として、私たち祖先が或る意味Respectされているのだろうと思います。
私が初めてプライベートジェットに乗ったのは1990年代後半でした、非常にエキサイティングな出来事だったので鮮明に覚えています。当時は芸能人だけでなく、多くの企業がプライベートジェットを保有していたように思います。ウィスコンシン州の片田舎に大手代理店(独自の製品も持つメーカーで、かつ、他社製品も扱う会社)があり、定期的に訪問をしてビジネスの協議を続けていました。この会社とは20年程の付き合いで、会社対会社というよりも、その会社と私個人との繋がりが深かったようにもいます、創業者は既に引退しているものの、古参の幹部とは未だに付き合いがあります。 その町は、人口1万人以下の規模で、その会社はその中で最大手の企業でした、私がお付き合いを始めた時は、従業員200名位であったともいますが、数年前に訪問した時は、700名程の拡大していました。会社が片田舎であったため、アメリカ内の移動も時間、コストが多く掛かります、従って、その会社の販売戦略は、自前の販売網を持つのではなく、できるだけ多くの販売代理店を作り、サービスは本部で24時間体制を構築し、かつ、製品のお届けは24時間以内と言う、その当時として画期的な物でした。営業スタッフは極力少なくし、テレマーケティングという手法で電話にて販売攻勢をするものでした。 主要な販売代理店、特にそのオーナーには、プライベート飛行機(セスナの大型)で送り向かいをし製品紹介、サービス体制をプリゼンしていくという販売戦略を進めました。その結果、効率的に多くの信頼できる販売代理店を設定することが出来ました。私がその当時属していた会社は、アメリカにおいては、この会社経由で販売をスタートしたところでした。ある時、この会社を訪問していた折、食品加工機械の引き合いが、ユーザーから有り、即座にこの会社が保有しているプライベートジェット(会社が多く成っていたので、セスナからジェットに変わっていました)で訪問することになり、引き合いを向けて、夕方には客先を訪問出来、その日の内に、商談の成約が出来ました。この時のスピード感は私のビジネスの一つの指針になっています。
アメリカに行くとケイジャン料理を良く耳にすると思いますが、果たして、ケイジャンとは何でしょうか?私も当初は全く分からなかったです。ケイジャンとはアカディア人を意味します。北米にあるフランスのアカディア植民地に移住していたフランス系カナダ人でアメリカのルイジアナ州に移住したその子孫です。18世紀半ばのフレンチインディアン戦争の際、イギリス国に忠誠表明を拒否し、当時のフランス植民地でスペイン領になったルイジアナ州ニューオーリンズに定着した集団です、今でもケイジャンフランス語と呼ばれる方言を使っている人が多くいます。 ケイジャン料理は、地元で手に入る食材を生かし、庶民の料理である、玉ねぎ、セロリ、ピーマンを炒めた料理がベースになります、主食は米を多用し、肉、野菜等、具が入りチリペッパー等香辛料が効いた炊き込みご飯”ジャンバラヤ”で有名です、基本的にはVery Very Hotな料理です。 私がケイジャン料理を初めて食べたのは、展示会で訪問したニューオーリンズでした、ジャズで有名な街で、至る所に、趣のあるジャズバーが沢山有りました、特にフレンチクオーターのバーボンストリート、特にアッパーバーボンストリートは必見です、その中で、古くからある人気のレストランの一つにガラトアーズがあります。機会があればぜひ行ってみてください。 ニューヨーク、ロス、シカゴの様な大都市では無いですが、非常に歴史、文化を感じる地域です。
私のアメリカでの物流関連機器のビジネスはソルトレークにある物流メーカーの社長との関りが1990年代前半にジョージア州アトランタのエヤーポートショーから始まりました。年齢も同世代で将来のビジネスに向かっての考え方も類似していたので同方向に向かって一緒に進んでいきました。ご存知の通り、ユタ州ソルトレークはモルモン教の総本山があり、人口の半分近くがモルモン教徒です。日本人にとってモルモン教徒の印象は、日本の多くの所で布教活動をしている熱心な宣教師を目にすることではないでしょうか、私、多くの日本人はあまり宗教的に特定のものにとらわれず、常にOPENの考えがあると思います。 このソルトレークの会社も全員がモルモン教徒で、かつ、全ての従業員が宣教師として海外生活を経験しており、その中で、日本の大阪に宣教師として宗教活動をされていた方が居て、大阪弁がとてもお上手でした(よく、粉物、タコ焼き、お好み焼きの話をしました)言い換えればソルトレークには非常に多くの国際的な会社が存在します。 モルモン教は正式には末日聖徒イエスキリスト協会と言い、1830年アメリカで立ち上げられました、経典の一つであるモルモン書に由来し、聖書より正確であると主張されています、信者数1600万人、地域数176か国、宣教師数9万人。基本的は、コーヒー、紅茶、茶、たばこ、アルコール等は禁止されています、彼の会社で大型プロジェクト、客先世界的な物流会社D社への成約を達成し、D社の幹部をソルトレークに招待し、夕食を共にしたとき、乾杯はワイン、ビールではなく水での乾杯でした、その後、私がD社の幹部をバーに招待し、ビールで乾杯をしました。 今でもそのソルトレークの会社とはお付き合いが有りますが、皆さん非常にまじめで、信頼できる人たちの集まりです。また、ソルトレークは非常に洗練されている大都会で非常に清潔感があり、かつ、文化、歴史を感じるところです。是非、訪問してください。私の好きなダウンタウンの一つです。
北米でプロスポーツを見た話をしましょう、まずNBAです、1990年代、NBAのユタジャズ(元々、ルイジアナ州のニューオーリンズで創設され、その後、ユタ州ソルトレークに拠点を移動したNBAチームです)仕事関係で時折、ユタ州ソルトレークへ良く行っていたので、仕事の友人がNBAの観戦をアレンジしてくれました、今思えば、その当時、ユタジャズは全盛で、ストックトン、マレーが活躍していました、私はNBAにはあまり興味は無かったのですが、彼らの動き、プレーは驚くべきものでした。息遣いが間地かで聞こえてきて、テレビで観戦するのとは全く違いました。 また、カナダのトロントを良く仕事で訪問していました。その折、プロテニスを見る機会が有り、それは、ロジャーズカップです、今も健在ですが、フェデラーの試合を幸運にも観戦できました、私も学生時代テニスをしていましたが、球の速さは驚くべきもので、これがプロかと思い知らされました。これも、カナダのトロントに行った時の話ですが、メジャーリーグの試合が観戦できるとの情報を入り、行ってみると、シアトルマリナーズとトロントブルージェイズ(カナダで唯一、メジャーリーグに入っているチームで、最近は、日本の川崎選手がプレイしていました)との試合でした、何とか外野席チケットを入手できました、これが幸運にも、マリナーズのイチローが守備している外野席でした、非常に感動し、声援を必死で送りました、その結果ではないと思いますが、結果は4打数3安打で大当たりでした。 これから或は定期的に北米を出張する方へ、時間を作って生のプロスポーツを見る機会を作ってください、絶対に感激することを保証します。
カナダは非常に風光明媚な都市が沢山有ります、その中で、バンクーバーは私の好きな都市のひとつです。バンクーバーは西部地区のブリティッシュコロンビア州に位置しており、人口210万人で、カナダで3番目に大きな都市です、日本の姉妹都市は横浜市です。バンクーバーには当時、会社経営をしていた折、支店がバンクーバーにあり、1か月に1回は訪問していました。ダウンタウンは非常に洗練されており、多くの種類のレストランがありグルメには最適な都市と言えます。また 香港の返還前後に多くの中国人が香港から移住をされて多くの中華文化、中国料理店がひしめき合っています。特にバンクーバー南部のリッチモンドでは人口の大半が中国系の住民で、そのため、バンクーバーの別の名前がホンクーバーと言われる由縁でもある。 バンクーバーには、第二次大戦前には日本街もあり、カナダでは最大の日系社会が有ります。美味しい日本料理店も沢山あります。ブリティッシュコロンビア州の州都はビクトリアで、バンクーバー島にあり、本土からフェリーで良く訪問していました。ビクトリアはカナダでもケベックシティと並ぶ、美しい街です。ぜひ、訪問してみてください。 ビジネス的には西海岸に位置していることもあり、非常にカジュアルで東部のトロントと違って、気軽に気持ちよく仕事ができた様に思います。気候的にも温暖で東部の様な豪雪になることは滅多にありませんので、観光、ビジネスにも非常に適していると思います。
私がゴルフを初めてしたのは、1980年代中頃であったと思います。その頃、20歳代後半で、ゴルフは中高年のダサイ遊びと思っていました。その当時、仕方なく取引先とよくプレイしましたが、内容は散々でした。にもかかわらず、非常に楽しく、自然の中のフェアーウェイを歩き、清々しい気持ちで1ラウンドをプレイしたのを覚えています。非常に精神面も鍛えるスポーツであると感じました。 その後、アメリカに駐在し、気軽にゴルフができる環境にいたこともあり、数多くの場所でプレイをしました、その頃は、少しゴルフのスコアも上達し、プレイをしながら商談をする機会も増えていきました。同時に、客先がチェリティの目的でゴルフコンペを頻繁に開催され、ビジネスにも少しは貢献できたと思います。 日本と違い、アメリカやカナダのゴルフ場は幅が広く、OB率が少なく、私の様な素人には最も適したコースです、又 プライベートでも気軽に安価で、その日に思い立てば、すぐプレーできる環境も私には合っていました。プレー代はコースに拠りますが、$30-70位で、今でもできると思います。 一つの課題は、スコアがあまり上がらなく、80代前半で頭打ちになりました。そこで、考えたのは、道具に問題があるのではないかと勝手に思い、高価なゴルフクラブに投資しましたが、スコアの向上は全く達成できませんでした。その後、スコアより、自然を楽しみ、仲間との時間を楽しみという方向に舵を切り、今に至ります。 ビジネスにおいても事務所で会議という形で進めていくことも大事ですが、外に出て、ゴルフ場で人間関係をつくり、笑顔の中でビジネスを構築することも大事であると、私見ですが思っています。
アメリカでの販売売掛金の回収が予定通りいかない時期があり、現地にて代理店をまわり回収作業をすることになりました。特にアメリカ南東部地区に集中していたので、営業支店があったアトランタを拠点とし活動することになりました、しかし、時期が1996年のアトランタオリンピックの直前であったため、全く、ホテルが確保できない状況で、確保できたとしても、1泊 $300/人 近くして、数人で宿泊することを考えると高額な経費が掛かります。思案の末、コンドミニアム(3ベットルーム付き)を月当たり$1,200で借りることが出来き、3か月間、部下2名と奇妙な共同生活が始まりました。 毎日、売掛金回収作業に忙しく動き回っていました。オリンピックが開催中だったこともあり、マラソンの有森選手が頑張っていたので、声援を送ったのを覚えています。アトランタは、アメリカ南東部の中心的な都市で、日本の自動車関連工場が近隣に多くあったため、当時は成田との直行便もあり、非常に便利で、多くの日本人ビジネスマンが行きかっていました。皆さんもよく知っているコカ・コーラ本社があるところでもあります。(コカ・コーラは元々、風邪薬からスタートしたことをご存知でしょうか?)3か月の滞在を終えて、粗、売掛金回収作業は終了し、奇妙な部下との共同生活も無事に終わりました。
アラスカには北米最大級の日本でいえば富士山にあたるマッキンレー山があります。そのふもとにあるデナリ国立公園のパトロールは、冬の間は現在でも自動車やバイクではあまりの寒さに突然動かなくなる危険性があるため、犬ぞりが使用されています。また冬の間は、電気が通らない一日中真っ暗な地域も多いといいます。...
サンフランシスコには4年間程駐在していました。その間にナパバレーに数度となく訪問し、数々の赤ワインの試飲をしました。場所はサンフランシスコからは車で1時間程で非常に気軽に訪問できます。沢山のワイナリーがありますが、私はMondavi,...

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