アジア、アフリカ、中南米

現在、トランプ大統領の関係で、NAFTAの見直しを考えられています、同時にTPPに再度、アメリカが参加するか等の議論がなされています。 しかしながら、メキシコをアメリカから分離することは非常に難しいと思います。歴史的な繋がり、かつ、多くのメキシコ人がアメリカの労働の担い手に既になっており、彼らなくしては米国経済の存続は難しいと思います。...
私は北米を中心にビジネスをしてきましたので、インドへ行くことは全く予想できませんでした、2005年前後であったと思います。カナダの会社を経営していた時、私の経理関係の右腕はインド人でした、彼は、苦労してインドのCPA(公認会計士)に資格を取り、ケニアで韓国系の会社に勤め、その後、ケニアで内政不安が有り、カナダに移住しました、そこで、カナダ、米国のCPA資格をとりカナダの会社の経理担当になっていました、その会社に、社長として私が赴任しました。 私は彼を私の右腕として信用し、会社を健全化することが出来ました、それまでは、インド人に対する知識、考え方に関して皆無でしたが、彼との繋がりで多くの事を学びました、インドの文化、インド人の気質、インド人が日本人対してに持っている気持ち、色々なことを学びました。 その後、日本に帰国し、初めてインドに仕事で訪問をすることになりました、それが2005年頃です、あまり驚きは無かったですが、人の多さ、埃っぽさ、ホテル等の不衛生さに関しては驚きがありましたが、事前に多くの知識を持っていたため、おかげで、仕事に大いに集中できました。インドは中国と同じように、今後世界の中枢的な国になるでしょう。また、インド人は日本人に対して非常に友好的です。これは台湾と似ているように思いましす、将来、インドは日本にとって今以上に重要な位置づけになるでしょう。これからインドへに行かれるビジネスマンへ、事前に十分な知識を得たうえで訪問してください。余談ですが、第二次世界大戦後の東京裁判でインドの判事であるパール判事だけが日本を擁護した事実は日本人にとってはとても意味深い歴史的事実です。
韓国は中国と同様に日本、日本製品が大好きです、韓国人は人間関係を大いに重視します。...
1990年代前半、ビジネスで良く、タイ、マレーシアを訪問、よく使ったルートはシンガポールにまず入り、その後、車で移動というパターンが多かったように思います。シンガポールはその頃から外資を積極的に取り入れ、非常に近代的な様相を醸し出していましたので、本当にアジアに来たのかと思うほどでした、しかし、シンガポールからマレーシアに入った途端、景色が全く変わりました、道路はあまり整備されていなく、道路脇に多くの屋台があり、アジアに着たなと強いく感じました、そして、タイのバンコクへ行くと、高速道路の整備が遅れており、常に渋滞に巻きかまれる毎日でした、目的のビルが見えているのに、いつ到着するか予想できない毎日でした。 その後、21世紀に入り、再度、バンコク、クアラルンプールを訪問する機会があり、驚いたことに、街並みは、整備され、高速道路は完備され、ビジネスのインフラが短期間で進められたことを感じると同時に感動を覚えました。一方でアジアらしさがなくなり寂しさも感じました。 今は、タイ、マレーシアだけではなく、インドネシア、ベトナムも急速にビジネスインフラが進められています、過去に感じていたインフラの不備等の心配は必要ないと思います。
私が初めて中国本土を訪問したのは、1990年代中頃であったように思います。25年程前です。その頃から最近中国に行ったのは2015年頃であり、20年間の中国の変化をまじかに見てきました。1990年代中頃の上海は、古い町並みが沢山残っていて、自動車よりも多くの自転車が道路を圧倒し、タクシーも数十円という安価で使用できたので、渋滞もなく非常にスピード感をもって移動できたとの実感を持っています。 一方で、人々の服装は、まだ、人民服の様な地味な服装が主で、日本人、あるいは東南アジアからの旅行者はすぐに判別できました。日本食レストランの選択肢は非常に少なく、ローカルな中華料理が主でした。日本レストランがあっても高価過ぎで日当では手が出ませんでした。その頃は日本でいう経産省のような官庁で、装置の承認作業もお願いしていましたが、1装置の承認を依頼したのですが、担当者によって費用が違い、承認作業の時間も全く違いました。少し追加費用を払えば、時間は大幅に短縮することが出来ました。今思うと古き良き時代でした。 その後、継続して上海、北京を訪問しましたが、行くたびに景色が分かり、新しいビル、レストラン等が急速にでき、道順も全く分からない状況が続きました。同時に、車の量が増え、道路渋滞が蔓延していきました。人々の服装も、年々進化し、中国人、日本人、東南アジアの方たちとの区別が難しくなりました、そのスピードは驚くべき早さです。近い将来、中国はアメリカに追いつき、経済的には抜いていくだろうとも言われています。昨今、日本への中国人旅行者が激増している状況下で、本当の日本人をさらに理解してもらい、さらなる良い関係を構築していければと私見ですが強くそう思います。
ブラジルには過去に幾度となく訪問しました。完成品を輸出するのは難しく、現地メーカーとの提携で、ノックダウン製造、或は委託製造をして販路を構築していくしか方法がありません、その背景としては、ご存知の様に、ブラジルは今だ関税が高く日本から直接輸出してビジネスを展開するのは、まだ非常に難しい地域の一つだからです、その上、まだ、保護主義が強い国でもあります。 ブラジルは南米(中南米を含む)においてメルコスールというFTAグループに属していますが、その地域で製造展開するのは資金力を持つ大手以外は非常に困難であると言わざるを得ません、一方で、協力メーカーを探し、そのメーカーに対してシナジー効果が提供、実証できれば将来に向けて進めていくことができます、一方で、ブラジル経済の不安定化、政情の不安等を考えると確かなビジネスが見えない場合は攻略地域の優先順位を下げるべきであると思います。 但し、近い将来、どうしてもビジネスを行う場合、まず、現地でのサポート人員(REP)を世界最大の日系社会から探すことをお勧めします、其の上で、現地での情報収集等を十分にして、協力メーカーになりうる会社群の比較検討を行ってください。余談ですが、サンパウロには世界最大の日本人街が有ります、その一角に一旦踏み入れると昭和の日本を感じることができます、昭和30年代生まれの私にとっては少年時代に返った気持ちになります、美味しい―ラーメン屋、定食屋が数多くあります、ビジネスだけでなくグルメも如何でしょうか?
アルゼンチン、ブラジル等で長年ビジネスを行ってきましたが、私は、ブラジル以外の地域は、現地で信頼できるREPを採用し販路拡大してきました、ご存知の通り、ブラジル以外はスペイン語圏です、ブラジルは保護主義が未だに強いと思いますので、ブラジル独自の現地REP(日系)を雇用して、現地会社との提携をお勧めします、南米は日本から遥かかなたの地域で、出張するにも、時間と費用が膨大にかかります、従って、如何に現地で信頼できるREPを見つけることが大きな成功の第一歩です。 又、南米の人たちは牛肉が大好きで、ブラジルでシュラスコという牛肉料理(客の前で好きな部位を切ってくれます)、が有名です、又 アルゼンチンでは同じく、ステーキ店が多いですが、私が感動したので、プロのアルゼンチンタンゴが踊ってくれるステーキハウスで食事をしたことが未だに鮮明に記憶に残っています。
米国、メキシコでのビジネスの立ち上げにおいて、最近、両国の比較検討をしました、メキシコは土地、建物、人件費は非常に安く、大きな利点になっています。一方で、米国は総合的なインフラが整い進出の下地はメキシコに比べて優位と言えます。...
米国駐在後、日本に帰国し全世界の責任者になりました。その中で衝撃的な市場は中国でした、その当時はまだ、今のような経済大国ではなく、人々の服装もまだ人民服を着ている人もたくさんいました、トイレの状況も最悪であり、且つ、人々の暮らしも非常に厳しいものがありました、今は対日で日本には厳しい状況ですが、その当時はもう少し柔らかな対応であったと記憶しています。 ビジネスを進めていくためには、当時、現地の公安(警察)と良好な関係を築くことが不可欠でしたし、いつも危険を感じてビジネスを進めていました、今になって思えば、当時と現在の共通点は有りました、それは中国人は日本、日本人が大好きで変わらないということです、これから中国とのビジネスを考えている個人、法人に対して言えることは、そのことを十分理解して中国とのビジネスを進めていくことが大事です。